昭和38年、国鉄小本線がディーゼル化

 昭和38年、国鉄小本線は全線ディーゼル化されました。乗る人なのか、見る人なのか、大勢の人が駅に集まっています。

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物資輸送の要、茂市駅

 JR山田線の茂市駅。ここは現在は同岩泉線と接続されていますが、昭和17年の開業以前はここで荷をトラックに積み替えて大量の物資が運ばれました。

 例えば岩泉発電所の建設。昭和14年5月着手、同16年竣工のこの工事では、「工事用機械、材料の搬入は、東北本線から山田線に乗り換え、茂市駅経由に依った」と工事報告に記されています。報告によると使用された材料は、鉄筋192トン、鉄管69.3トン、ダイナマイト68トン、雷管36400個、導火線23万6千メートル。ちなみにセメントは138514袋を小本村の茂師港に陸揚げし、陸路を運んだと書かれています。

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岩泉線の旅、画面上でも

 Google社が無料で配布しているバーチャル地球儀 ソフトgoogle earthには、JR岩泉線沿線に全国のファンが張り付けたと思われる画像や説明が付されています。未だ復旧のめどの立たないJR岩泉線。PC画面で追ってみてはいかがでしょうか。(写真は張り付け画像とは異なります)

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岩泉町の積雪記録

 

 岩手百科事典(岩手放送発行)によると、岩手県内の積雪記録は、昭和38年(1963年)旧松尾鉱山470cm、昭和49年(1974年)湯田町368cm、昭和20年(1945年)沢内村340cm。

 沿岸部ではこれほどの記録はないのですが、春先に雪が多く昭和19年(1944年)に岩泉町と山形村でともに165cmの積雪が記録されています。

 同年3月12日、岩泉町と隣接する宮古市の積雪は101センチを記録。午前8時7分、豪雪の中、蒸気機関車C58283に牽引された貨物列車(盛岡発宮古行)が平津戸と川内の間にある小滝鉄橋で脱線し、閉伊川に転落しました。瀕死の重傷を負った機関士は、軽傷の機関助手に事故の報告を指示。猛吹雪の中、彼は平津戸駅に救助を求めました。加藤機関士は救助隊の到着を見届けて亡くなりました。この事故は映画「大いなる旅路」のモデルとなりました。

写真:年末年始にかけての暴風雪で、町内安家の大坂本ではご覧の通りの積雪に。軽トラックが止まっているのは県道普代小屋瀬線です。

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3日間乗り放題のローカル線パス、2月1日発売!

 JR東日本と東北6県の鉄道会社11社が運行する列車が3日間乗り放題の「東北ローカル線パス」が2月1日から発売されます。

 パスは金土日、または土日月の連続3日間有効。利用期間は2月4日~4月18日です。

 JR岩泉線は昨夏の土砂崩れで不通となっているため代行バスとなります。春を待つJR岩泉線沿線の旅を楽しんでみてはいかがでしょうか?

 
 価格は大人6千円、子供3千円。東北6県のJRのみどりの窓口などで発売されます。

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小本線(岩泉線)を走った蒸気機関車

 蒸気機関車は、日本の鉄道の歴史の中で主役を演じた花形でしたが、動力の近代化には逆らえず、戦後の急速なディーゼル化や電化に伴い、その車両数は減少の一途をたどり、昭和50年(1975年)末で、すべての国鉄路線から消えました。県内国鉄の蒸気機関車は、それより3年早く、昭和47年(1972年)10月を最後に廃止されました。各線の蒸気機関車走行最終年月と、末期に活躍した主な蒸気機関車の型式は次の通りです。

橋場線(1966年10月、C11)、北上線(1967年3月、D60)、釜石線(1967年3月、D50・D51)、大船渡線(1968年3月、C58・D50)、東北本線(1968年9月、C60・C61、D51、D52)、山田線・小本線(※現在の岩泉線)(1970年2月、C58)、花輪線(1971年9月、8620)、八戸線(1972年10月、C58)

 なお、私鉄ではラサ工業宮古工場にC10がありましたが、1978年4月で廃止されました。

 JR岩泉線の浅内駅には当時の給水塔が今もなお残り、当時をしのばせます。また、県内では盛岡市の交通公園などで静態保存された蒸気機関車を見ることができます。

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「木炭王国」だった岩泉町

 岩手県は量、質ともに日本一の木炭生産県として知られてきました。日本で最初の溶鉱炉が安政4年(1857年)に釜石市に誕生、その燃料源が木炭でした。

 岩手木炭が全行的に有名になったのは東北本線開通以降、本格的には明治30年(1897年)に入ってからで、明治44年(1911年)には日本一の生産県として確立しました。

 生産地は全県に分布していましたが、下閉伊・九戸・二戸・岩手の4郡が中心で、特に岩泉町は「木炭王国」とも呼ばれていました。県の生産量は大正末には10万トンの大台に乗り、戦後の昭和28年(1953年)には15万トン、製炭従事者は4万人を超えていました。

 その後、石油・ガスなどの進出によるいわゆる燃料革命によって減少の一途をたどり、昭和50年(1975年)には1万トンを割りました。

 現在は、町内の釜津田地区森林認証炭生産グループが「地球にやさしい森林認証炭」を生産しています。森林認証とは、適正に管理された森林から産出した木材などにFSCの認証マークを付けることによって、持続可能な森林の利用と保護を図ろうとするものです。

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年末年始の暴風雨被害、8市町村が県に支援を要望

 昨年12月22日、年末年始と岩手県内は2度の暴風雨被害を受けました。岩泉町を含む県北、沿岸の8市町村は1月25日(火)、盛岡地区合同庁舎で達増知事に早期復旧に向けた緊急支援を要望しました。県によると被害総額約86億円のうち漁業関連被害のかさむ沿岸4市町村の被害額は半分の約43億円に上ります。

 写真は大雪に覆い尽くされた町内有芸地区。

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岩泉線写真集、閲覧できます

 未だ復旧のめどが立っていないJR岩泉線。岩泉町立図書館では、一日も早い復旧を願い、四季折々の岩泉線の風景が載った「岩泉線 鉄道情景への旅」(写真・文=船坂晃弘)を、皆さんが手に取りやすいようカウンターに置いています。

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岩泉線アーカイブス ~昭和57年の岩泉線存続・小本延長町民総決起大会

 

 大正11年4月11日公布の改正鉄道敷設法別表第8項に記載された「岩手県小鳥谷ヨリ葛巻ヲ経テ袰野付近ニ至ル鉄道及落合付近ヨリ分岐シテ茂市ニ至ル鉄道」という建設予定線。 このうちの下線部が、現在のJR岩泉線(旧名小本線)。鉄道の建設とさらなる延長は「法」に予定されたものでした。

 昭和54年、岩泉線の平均乗車密度が調査され、合理化(廃止)対象線に選定されました。沿線と県はこれに強く反発。併走する国道340号を使ってのバス転換は不可能として、廃止申請の取り下げを求めました。

 57年、町は岩泉線存続延長町民総決起大会を開催。完成したばかりの町民会館のホールは満員になりました。同年12月には県と新里村・岩泉町が国鉄バスで試走し、58年3月、県が同線が未整備でバス転換は不可能とする意見書を提出。運輸省も現地調査を実施し、60年、運輸省は岩泉線の廃止承認申請を取り下げました。

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